6月9日(木)の手紙


2016年6月8日(木)

『全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ』詩篇100篇1節


詩篇100篇は、素晴らしい感謝の賛美だ。
神が私達の造り主で、私達は神のものである事を知りなさいと呼びかけ、神の慈しみや恵み、真実をたたえなさいと教える。

100篇2節には、「喜びをもって主に仕えよ」とあるけれど、はっとさせられる御言葉だ。
これは、自発的に目に見える形で感謝しながら仕えるという事だ。
やる気満々というよりは、仕方ないから奉仕するという事が、私達には時々ある。
そこに喜びはない。

神の御心とは、この上なく豊かで喜ばしい、輝きに満ちたものである。
にも関わらず、これを大きな災害に会ったように語る人がいる。
「まあ、神の御心ならば仕方がない」と、ため息をつくのだ。
私達は暗い信仰者となり、「神の御心を耐え忍ぶ」などとみじめったらしい事を言う。
神の御子の大いなる命と力が、そんな者のどこにあるのか。

与えられた物に感謝する事だけが、真の感謝ではない。
感謝とは、生きる姿勢だ。
その生き方は、主との豊かな交わりをすべてに染み渡らせてくれるので、私達は喜んで主に仕える事ができる。
感謝を捧げるとは、一時の事ではなく、クリスチャンの生き方そのものだ。

God Bless You!!

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