2017年5月29(月)
『人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。』詩篇8篇4節
ダビデは、神の導きを真摯に求めて、自分の行くべき道を模索していた。
彼の問いかけを、いくつか見てみよう。
例えば、神のご計画の成就を熱望して「主よ。いつまでですか」と問うている。
そして、罪深い人間でさえも心に留めてくださる神に畏怖の念を込めて「人とは、何者なのでしょう。
あなたがこれを心に留められるとは」ち不思議がり、「苦しみのときに、なぜ、身を隠されるのですか」と問いかけて、神のご臨在を待ち望んでいる。
更には、「主よ。だれがあなたの幕屋に宿るのでしょうか。
だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか」と尋ねて、神と共にいることができるのは誰かと言う、最も深遠な問いを投げかけている。
ダビデの問いは、厳粛なものだった。
彼は、神を無視して罪深い情熱に身をゆだねてしまい、道を見失うとはどういうことなのかを身をもって知ることになった。
しかし彼は、神のような聖さや善良さを求めつつ、詩篇を書いた。
つまり、厳粛な問題について、神の御心を尋ねたのだ。
神に問いかけよう。
ダビデのように質問したいことがあるのなら、問い続けよう。
そして、聖書の御言葉と聖霊の働きを信じつつ、耳を傾けよう。
そうすれば、神が答えに導いてくださる。
God Bless You!!
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