2019年11月14日(木)
『主は私の助け手。私は恐れない。人が私に何ができるだろうか。』ヘブル人への手紙13章6節
過ぎし日、主なる神はあなたがたの罪を完全に消し去ってくださいました。
今は、神はすべてのことを働かせて益としてくださいます。
そして、将来も、神は決してあなたから離れず、あなたを捨てることはありません。
神を信じることによって、あなたはあらゆる緊急時に備えることができるようになるのです。
あなたが神の力を実際生活に適用することがなければ、神を信じることは無意味なことです。
しかし、信仰を告白している多くのキリスト者は実際的な助けを得るために、神のところに赴こうなどと少しも考えていないように思えるのです。
そのため、困窮の真っただ中にあっても、神を見いだせない状態に陥っているように思えてなりません。
このように実際生活に適用できない神を信じることは、神を信じていないことと同じであると私には見えるのです。
神の足もとにひざまずくことができ、神に心を注ぐことができるとは何という幸いなことでしょうか。
神は私たちの力強い助け手となってくださっています。
喜びと悲しみの中にあるとき、ますます近い友になってくださるのです。
友よ、あなたは何か困ってはいませんか。
神を信じていますか。
では、神の御前で祈り、今受けている試練を率直に神に申し上げなさい。
家庭に厄介な問題となっている「手紙」はありませんか。
では、ヒゼキヤのように主のところに行き、そして、主に語りかけなさい。
あなたの子どもが亡くなろうとしてはいませんか。
では、ダビデのように主に祈りなさい。
ヨナのように深いところに閉じし込められてはいませんか。
では、その深いところから祈りをささげなさい。
あなたはつらい経験をしてはいませんか。
主の前にそのことを力いっぱい吐露しなさい。
あなたが信じている神の力を大いに実際生活に適用し、役立てなさい。
神に嘆願し、最大限の益を獲得しなさい。
あなたの困っていることを神に率直に申し上げなさい。
神の約束を捜し求めなさい。
そして、聖なる大胆さをもって神に願いをささげなさい。
というのは、これが救いを見いだすための最も確かで最も早い方法だからです。
常にあわれみ深い友である神と対話することができなければ、私たちはどうすればよいのでしょうか。
失望のために死んでしまうかしれません。
ヨブのように、私たちは生まれた日を呪うことになるかもしれません。
そして、生まれてこなかったほうがよかったと願うかもしれません。
さらには、滅びを予想することになるかもしれません。
しかし、神をほめたたえなさい。
私たちは信仰によって神の御前に出ることができ、神の保証を嘆願することができるのです。
そうすれば、暗黒の雲が退き、私たちは輝かしい光の中に導かれます。
God Bless You!!
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