2018年8月24日(金)の手紙

2018年8月24日(金)


『時宜にかなって語られることばは、銀の彫り物にはめられた金のりんごのようだ。』箴言25章11節


「大選帝侯」
フリードリヒ・ヴィルヘルム(在位1640-1680)が若き日に外遊した時のことです。

同年輩の貴族の一団が彼を祝宴に招きました。
酔いが回り、人々の会話がわいせつになるにつれ、彼は醒めていきます。

突然、ドアが開いて半ば裸の女性たちが舞い込んで来ました。
王子はいすを蹴って立ち上がり、叫んだとのことです。
「神とわが祖国とに対して、私はここを立ち去る義務がある」。

まさに「時宜にかなって語られることば」です。

が、ソロモンが「銀の彫り物に金のりんご」と呼んだのは、もっと大いなることばであったでしょう。
おそらく彼は、時にかなって人に話しかける、慰めに満ちたことばを想定したのです。

私たちはみな、間の悪い場面に行きあう経験をしています。
例えば悲しんでいる人に出会うと、こちらも戸惑って、気の利かないあいさつをしてしまったりします。
そして半時間もたってから、ああ言えばよかった、などと思いかえすのです。
もう遅いのですが。

その点でイエスはなんと偉大な方でしょうか。

主はあるとき素姓の怪しい人々の集いに招かれました。
彼らの心も、罪のなわめから解かれることを求めていました。
すると、突然、戸口が騒がしくなります。
パリサイ人たちが来て、「お前たちの先生は、罪人と食事をするのか」と弟子たちに文句を言います。

困った弟子たちは黙っていました。
宴会の主催者たちもしょんぼりと座っています。

するとイエスが言われました。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です」。

さて、これこそが「銀の彫り物にはめられた金のりんご」です。

この主は私たちにも、正しく語る知恵を与えることができます。
そのような霊的な知恵を主に求めましょう。

主よ。
神からのほんとうの知恵を私たちにお与えください。アーメン

God Bless You!!


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