2017年3月20日(月)
『かえって、あらゆる場合に、神の僕として、自分を人々にあらわしている。すなわち、極度の忍苦にも、患難にも、危機にも、行き詰まりにも、』コリント人への第二の手紙6章4節
パウロとその同労者達は、福音を宣べ伝えている途中、ひどい苦しみに遭った。
コリント人への第二の手紙6章には、彼らの外的な試練、内面の葛藤、そして霊的な拠り所が列挙されている。
むち打ち、忍耐、入獄、親切、悩み、愛、これらすべてが混ざり合った状態を想像してみよう。
だけど、肉体が痛み、精神的に消耗し、霊的な試練に見舞われても、彼らの本物の信仰はさん然と輝いていた。
パウロは「悲しんでいるようであるが、常に喜んでおり、貧しいようであるが、多くの人を富ませ、何も持たないようであるが、すべての物を持っている」と語っている。
キリストと共に歩む人生で、本物であることに取って代わるものは何もない。
God Bless You!!
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