2017年2月12日(日)の手紙

2017年2月12日(日)


『なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである。』コリント人への第二の手紙5章10節


ある日会社に行くなり、上司から「九時半に私の部屋に来てください。
君の業績について話したいことがあるから」と言われたとする。
こんな時は、何を言われるのだろうかと緊張する。

上司は、自分の仕事ぶりをどう思っているのだろう。
「よくやった」と言われて昇進し、給料が上がるのか。
それとも、「クビだ」と言われて仕事を失うのか。
いったい、どちらだと思うのだろう。

この種の査定は重要だけれど、それとは別の、はるかに勝って重要な査定があると聖書は語っている。

パウロは、「なぜなら、わたしたちは皆、キリストのさばきの座の前にあらわれ、善であれ悪であれ、自分の行ったことに応じて、それぞれ報いを受けねばならないからである」と教えている。

私達は、この世の人生のあとで、主の御前に立つ。

私達は、救いを失うことを恐れながら、この将来の査定に臨むのではない。
ただ、主であるお方に「よくやった。良い忠実なしもべだ」と言っていただきたいと心から願っている。

キリストに従う者にとっての大きな課題は、来る日に「よくやった」という主のお言葉を聞くことができるように、今、主のために卓越した働きをすることだ。

今日の態度や過ごし方を踏まえるなら、救い主にお会いする時の査定はどうなるだろう。
それを考えての言動は、とても大切なことだ。

God Bless You!!

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