2014年2月24日(月)

2014年2月24日(月)


『十二の門は十二の真珠であり、門はそれぞれ一つの真珠で造られ、都の大通りは、すきとおったガラスのような純金であった』ヨハネの黙示録21章21節


金鉱を掘り当てて、どこに行くにも金塊の入ったバッグを持ち歩いていた男がいた。
彼は死んで天国に行ったけれど、そこへも大切な自分の宝を持って行った。

だけど、天国に到着すると、ひとりの御使いが尋ねた。
「なぜ、アスファルトを持ち歩いているんだい?」
彼は答えた。
「アスファルトではありません。金ですよ」

ところが、御使いは言った。
「地上では金と呼ばれているかも知れないけれど、ここでは道路の舗装に使っているものだよ」

勿論、これはただの作り話だけれど、私達が価値あると考えるものと、神様がそうお考えになるものとは違うという事を思い出させてくれる話だろう。

私達にとって、金は高価で財産価値のあるものを造作する金属だ。
だけど、天国ではそれを踏んで歩く。
何と対照的な事だろう。

私達が、この世で誇るもの、たとえば称賛や名声、富や財産は、天国ではそれほどの価値はない。
この世に別れを告げる時、それらのものにどんな意味があるのだろう。

地上の財産は、一時的なものでしかない。
私達の本当の豊かさは、天国にある事を忘れてはいけない。
天国に宝を貯えている人こそ、地上で最も豊かな人なのだから。

God Bless You!!

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