2014年2月10日(月)

2014年2月10日(月)


『あなたの父ダビデの神、主はこう仰せられる、わたしはあなたの祈を聞き、あなたの涙を見た。見よ、わたしはあなたをいやす。三日目にはあなたは主の宮に上るであろう』列王記下20章5節


こんな話を聞いた事がある。

学校の長距離走で、僅差で優勝した人がいた。
最後の2周を回っていた時、彼の口が動いていたので、トラックの脇で見ていた人が、一体何を言っていたんだと尋ねた。

彼は、自分の足を指して、「足を持ち上げてください。私が降ろしますから」と祈っていたと言った。
その選手は、神様に助けを求めて祈っていたけれど、祈りながら、自分も出来るだけの事をしたのだ。

神様に助けを求めるなら、自分のできる事は何でもしよう、神様が与えてくださったものは何でも用いようと、進んで行動しなくてはいけない。

ヒゼキヤは、自分が死ぬと聞いた時、奇跡を求めて祈り、その結果、神様は彼の寿命を15年間伸ばすとイザヤを通して約束された。

イザヤは、ひとかたまりの干しいちじくを腫物に当てるように指示し、言われた通りに実行したヒゼキヤは癒された。
神様が癒してくださったのだけれど、神様は人間の実行力を用いられたのだ。

ある朝、登校する途中のふたりの子どもがいた。
彼らは、ふと、急がないと学校に遅れると気付いた。
ひとりの子は、「立ち止まって、遅れないように祈ろう」と言った。
だけど、もうひとりは、「駄目だよ。全速力で走りながら祈ろう」と言った。

私達も、神様に何かをお願いをするなら、自分の役割を担う準備ができていなくてはいけない。
すべては、神様次第だと信じて祈り、すべては自分次第であるかのように努力する必要があるんじゃないだろうか。

God Bless You!!

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