2014年1月8日(水)

2014年1月8日(水)


『わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと』コリント人への第一の手紙15章3節


今から2000年程前、ポンテオ・ピラトは「ユダヤ人の王。ナザレ人イエス」と書いた札を、十字架上につけるように命じた。

たぶん、人々を怖がらせて、自分達の王を立てようなどという企てをしないようにと図ったのかも知れない。

「ユダヤ人の王」とは、その時に初めて考えついた事だろうか。
東方の博士達が「ユダヤ人の王としてお生まれになった方」を捜しに来た時に、初めて使われたのかも知れない。

イエス様が十字架につけられた時、「もし神の子なら、十字架から降りて来い」と罵った人達がいた。
彼らは、イエス様が本当に王なのか見たかったのだろう。

だけど、イエス様は降りて来られなかった。
十字架の意味は、「私達の罪のために死なれた」という事に尽きるからだ。

私達が受けるべき罰を、イエス様が代わりに受けてくださったので、私達は神様の赦しをいただいた。

イエス・キリストが救い主であり、人生の主であると信じ、神様に赦された人達にとって、唯一の相応しい生き方は、このお方に仕える事じゃないだろうか。

イエス様は、私達の人生の王なのだから。

God Bless You!!

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