2014年1月3日(金)
『わたしはまた、神に対しまた人に対して、良心を責められることのないように、常に努めています』使徒行伝24章16節
多くの人に親しまれている童話「ピノキオ」は、嘘をつくと鼻が伸びてしまうという、木の操り人形の物語だ。
ピノキオの友人が、彼に「良心に従いなさい」と言った場面がある。
ピノキオは、友の助言に従って悔い改め、製作者であるゼベットじいさんのものに戻った。
そして、ピノキオは人の心が与えられ、操り人形から自由になった。
この話は、クリスチャンへの教訓でもある。
それは、すべき事とすべきでない事に関して、心の底から聞こえてくる声に従わないなら、囚われ人のように生きてしまうというものだ。
だけど、聖められた良心は、自由を与えてくれる。
ところが、神様に喜んでいただける決断をする土台のない人もいる。
この人達の良心は弱く、周りの人に簡単に影響されてしまう。
また汚れた良心を持つ人もいる。
善悪の基準が崩れて、純真さがない。
最も悲しい人は、良心が麻痺した人だ。
この人達は、もう長い間、内なる声に反発してきたために、何も聞こえなくなってしまっている。
悲しい事だけれど、これらすべては聖書に記録されている。
「どのようにしたら、聖められた良心を持てるのですか」と聞きたくなるだろう。
その答えは、自分の罪を悔い改めて、創造主なる神様のもとに帰る事だ。
そうすれば、どんな良心を持った人でも、神様は回復させる力を持っておられる。
だから、決して諦めてはいけない。
神様は、今もあなたがご自分のもとに帰るのを待っておられるのだから。
God Bless You!!
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