2014年1月26日(日)

2014年1月26日(日)


『それゆえ行きなさい。わたしはあなたの口と共にあって、あなたの言うべきことを教えるであろう』出エジプト記4章12節


神様に召された時、モーセは、「ああ主よ。
私はことばの人ではありません。
以前からそうでしたし、あなたがしもべに語られてからもそうです。
私は口が重く、舌が重いのです」と言って、逃れようとした。

察するところ、何らかの言語障害があったのだろう。
たぶん、どもったのかも知れない。

だけど、神様は、「だれが人に口をつけたのか。
だれが耳を聞こえなくし、あるいは、耳を開いたり、盲目にしたりするのか。
それはこのわたし、主ではないか」と仰せられた。

私達のハンディは、偶然によるものじゃない。
神様は、私達のすべての欠点をご自分の栄光のために用いられる事がある。

神様は、私達が「制約」と呼ぶものを取り除くのではなく、それを力と共に与えて、良い目的のために使われるのだ。

使徒パウロが「肉体のとげ」を取り除いてくださいと、しきりに願った時、神様は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。
というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と語られた。

パウロは、自分の弱さを喜ぶ事さえ学んだのだ。
そして、「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
私が弱い時こそ、私は強いからです」と語っている。

神様の力は、私達が弱い時にこそ、最もよく現われるものかも知れない。

God Bless You!!

a:5 t:1 y:0