2014年1月25日(土)

2014年1月25日(土)


『さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。あなたがたは、メリバにいた時のように、また荒野のマッサにいた日のように、心をかたくなにしてはならない』詩篇95篇1節、8節


毎週日曜日、全世界で何百万人というクリスチャンが、教会に集まって創造主であり、贖い主である神を礼拝している。

礼拝のプログラムや賛美のスタイルは様々だけれど、各教会は、神様の素晴らしさを宣言し、神様をほめたたえるために礼拝を捧げている。

だけど、長い教会の歴史を見るなら、この礼拝は簡単に堕落して中身のない儀式になってしまう事がある。
神様の民が心を頑なにし、神様の御言葉に従わないと、いつでもこうなるのだ。

詩篇の作者は、イスラエル民族の経験から、この事を知っていた。
イスラエル人は、モーセを指導者としてエジプトの奴隷という身分から奇跡的に救い出され、熱烈に主をほめたたえた。

だけど、間もなく、神様が信頼できる善いお方であるという事を疑い始め、ひどく不平を言い、神様と神様の僕であるモーセを非難した。

彼らは、神様の教えを無視し、その結果、イスラエルの民は、短期間で越えられるはずの砂漠を40年間さ迷う事になったのだ。
その上、多くの人々は、約束の地に入る事さえ出来なかった。

私達は、いつも神様の素晴らしい救いの業に対する驚きと感謝の思いに満たされている必要があるんじゃないだろうか。
神様に、心から賛美を捧げられるように、助けてもらう必要があるんじゃないだろうか。
そして、神様を愛し、誠実に従い続ける事ができるように祈る必要があるんじゃないだろうか。

God Bless You!!

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