2014年1月16日(木)

2014年1月16日(木)


『あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである』へブル人への手紙12章3節


夫を亡くして2年目になっていたけれど、精神的に吹っ切れずにいる未亡人がいた。

毎朝、祈る時は、大きな溜息をついて、「主よ、こんな有様ではいけないのに」と、つぶやいていた。

すると、ある朝、「なぜいけないのか」という、小さく静かな声が心の中に聞こえた。
その時だ。
間違ったプライドを持っているのだと気付いた。
自分のように、信仰生活の長い、成熟したクリスチャンは、いつまでも苦しんでいてはいけないと思っていたのだ。

何と言う、愚かな考えだろう。
生まれて初めて、未亡人になったのだ。
未亡人である事を、いちから学ばなくてはいけない。
たとえ、苦しくても…。

こんな話がある。
ある人が、蝶がサナギからかえるところを見ようと、サナギを持って帰った。
そして、蝶が小さな穴から出ようともがいているのを見つけると、はさみで切って出口を大きくしてやった。

おかげで、蝶は簡単に外に出たけれど、羽がなえてしまった。
小さな穴からもがきながら出る事で、蝶の身体は体液を羽に送るのだ。
これが、神様の定めた自然の法則で、この人の「憐れみ」の行いは、実は残酷な事だったのだ。

ヘブル人への手紙12章は、クリスチャン生活を競争に例えて描いている。
競争には、忍耐、訓練、矯正が必要だ。

私達は常に、自我や罪に対して、聖なる戦いを挑まなくてはいけない。
神様の御心にかなう人になるために、苦しみが必要な時がある。
苦しみの中だからこそ、神様の強さを体験する事ができるのだ。

God Bless You!!

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