2013年12月7日(土)
『わたしにとっては、生きることはキリストであり、死ぬことは益である』ピリピ人への手紙1章21節
定年退職して隠居する事は、釣りやゴルフや旅行など、趣味三昧の生活ができる事だと、多くの人は考えている。
人一倍働いた後に、早期退職をして、まだ若くて健康なうちに、このような生活を楽しもうとする人もいる。
だけど、クリスチャンは隠居を別の見方で見ている。
神様を愛するある年配の人が、こう言った。
「今夜、私は自分の隠居所である寝室で休みます。
神様がお召しにならず、生かしておいてくださったなら、明朝起き上がって、主にお仕えします」
彼の考え方は、パウロの告白と同じだ。
パウロの人生の目的は、キリストの栄光だった。
彼にとって、苦難や投獄、困窮は、福音を前進させ、神様のために生き抜くチャンスでもあった。
神様のために成すべき事は、いつでもある。
私達が、人生と死についてパウロと同じように考えるなら、イエス様は私達が生きている限り、人生に働きかけ、同時に、主の器として用いられ続けるだろう。
職場を定年退職する事はあっても、神様にお仕えする事に定年退職などないのだから。
God Bless You!!
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