2013年10月9日(水)
『われわれは、自分の行いを調べ、かつ省みて、主に帰ろう』哀歌3章40節
悲劇的な事件や悲観的な社会展望は、いつも新聞の一面を飾る。
だけど、悪いニュースばかりに気を取られると、どんな状況も悲観的に見えてしまうものだ。
聖書の中で、悲観的になってもおかしくない人をひとりあげるとすれば、それは預言者エレミヤだ。
彼は40年間、反抗的で悔い改めないユダの人々に、神様の審判を宣べ伝えた。
エレミヤは、ユダの人々の不従順のために苦しんだけれど、神様が正しいお方であるという信仰にしがみつくようにして耐え続けた。
エルサレムが破壊され、ユダの人々が捕囚として連行されていくのを見た時でさえ、「主は、いつまでも見放してはおられない。たとい悩みを受けても、主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる」と語ったのだ。
確かに、神様に不従順であれば、ひどい苦しみを招きかねない。
だけど、挫折を乗り越えていく扉は、神様に続いている。
神様は、主を待ち望む者に対して、いつも、いつくしみ深いお方なのだから。
God Bless You!!
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