2013年10月17日(木)

2013年10月17日(木)

『目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう』マタイによる福音書6章22節


善悪を見分ける能力は、霊的な視点の焦点をどこに合わせるかで決まると言っても過言じゃない。

例えば、目を富みに向ければ、良い生活をしばらく送る事ができても、霊的な判断力は鈍る可能性がある。
聖書が教えている道徳観を否定すれば、家族を悩ませ、最終的には破滅をもたらすかも知れない。

聖書は、お金持ちになりたがる人達は、誘惑と罠と…愚かで有害な多くの欲とに陥ると、警告している。
もし、富を愛するなら、それを手に入れようと極端な事もしてしまう。
その暗さは、一体どのようなものになってしまうのだろう。

グルメ、財産、権力。
霊の視点の焦点を、どこに合わせるかによって、私達の願望は決定する。
明かりに満ちた人生か、暗闇に覆われた人生かのどちらかだ。

だから私達の目が、今何を見ているのか、十分に気を付けなくてはいけない。
そして、もし自分の欲深さを治したければ、何を得るかという事に価値観を置くんじゃなく、何を与えられるかを考えればいいんじゃないだろうか。

God Bless You!!


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