2013年10月14日(月)

2013年10月14日(月)

『わたしの兄弟たちよ。あなたがたが、いろいろな試錬に会った場合、それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい』ヤコブの手紙1章2節


この御言葉は、苦しい状況に対する自然な態度とは、反対の応答をするように求めている。
これは、最も難しい戒めのひとつだろう。

「困難な状況を、喜びだと捉えて、自分の幸せだと思いなさい」
「苦難や誘惑を、邪魔者のように嫌がるのではなく、友達のように歓迎しなさい」と訳している聖書がある程だ。

私達は、そのように思えるだろうか。

この教えは、もし「信仰が試されると忍耐が生じる」という理由に裏打ちされなければ、とても不条理で非現実的な事のように思われる。

喜んで生きるという姿勢は、私達の感情じゃなくて、神様がどういうお方で、私達の人生を通して、どのような働きをされるかを期待する信仰に基づいている。

だから、神様が望んでおられるゴールに私達を進めてくれる試練は、友達として歓迎すべきだという事になる。

ただ、試練は、私達の強さを試すものじゃない。
むしろ、全能の神様を信頼する忍耐力を鍛えるものだ。
この試練をくぐり抜けて行く時、神様は今日を生き抜く知恵を与えてくださる。

試練に対する自然な反応は、「ああ、嫌だ!」だろう。
だけど、神様が願っておられる事は、神様が試練を通して私達の人生に成されようとしている事を見て、それを喜んで受け入れる事だ。

試練の時に喜べる唯一の動機は、必ず結果は良いものだと信じる事じゃないだろうか。

God Bless You!!


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