2013年10月12日(土)

2013年10月12日(土)

『これもまた万軍の主から出ることである。その計りごとは驚くべく、その知恵はすぐれている』イザヤ書28章29節


試練に遭うと、「なぜこんな辛い思いをしなければいけないのか」と言いたくなる。
だけど、今日の御言葉は、この反応が近視眼的だと教えている。
苦難は、苦難そのもののためではなく、私達が成長して変わるために必要な事なのだ。

私達は、どんどん成長しなくてはならないけれど、試練はそれを可能にする神様の道具のひとつでもある。

預言者イザヤは、農夫が巧みに畑を耕し、種を蒔き、収穫物に応じた方法で脱穀する様子を描いている。
これは、神様は苦難を用いて御心を成し遂げられるという事を、イスラエルの民に理解させようとしたたとえ話だ。

もし、土がしゃべれたなら、「なぜこんな痛い思いをして耕されなければならないのか」と文句を言っただろう。

だけど、苦しみは無意味な事じゃない。
イザヤは、神様が農夫に正しい時を教えてくださると語っている。
また、柔らかい実は優しく、そうでない実は強く叩いて脱穀するように命じられているけれど、神様は常に確かな収穫を視野に入れておられると語っている。

この農夫である神様は、私達の神様でもあるので、どんなに辛い時でも安心していられる。
主が、私達を取り扱われる時は、常に思慮深く、また目的を持っておられる。
それは、私達の人生に「平安な義の実を結ばせる」事なのだ。

神様は、いたずらに災いをもたらしたり、苦しめたりされるお方じゃない。
だから、神様を信頼しよう。
すべての苦しみは、私達が前進するチャンスにも成り得るのだから。

神様は、何が最善かを常に知っておられる。
悲しみ、困難、試練のひとつひとつから、私達は数々の貴重な教訓を得る事ができるのだ。

God Bless You!!


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